受験対策ってなに?

受験対策の教育はない!

いま、少子化から音楽学校の状況は厳しい状況です。
その中で、音楽が好きな人が本当に学ぶことを決意した時、
良いメンター(先導者)や先生を見つけるのは大変です。

才能はすべての人に必ずあり、それぞれ異なります。
目立つ才能もあれば、今は目立たない才能もあります。
教育者は才能を引き出し伸ばすのが仕事だと思います。

ジョハリの4つの窓のうち、自分は気付かない才能を示す
「盲点の窓」を開けられる人に出会うことが大切です。

先生は大きく二つの教育方法に分けられます。
一つは手法を教える先生。
もう一つは本質を教える先生。
つまり、「受験に受かる方法」を教える先生と、
「音楽の本質」を教える先生とも言えます。

近頃の入試はかなり進化していて、
ほとんどの作品を審査員は自身が弾いていたり、
複数の演奏を聞いたりしており、
審査員同士の情報交換も盛んです。
審査員のほとんどが留学経験者だったり、
研究者であるため、
個人的な志向による偏差が少なくなっています。

芸術は点数を付け評価するものではないと考えますが、
入試やコンクールでは点数化しなければなりません。
その時点で芸術の本質とは矛盾するのですが
その矛盾をなくすべく審査員は様々な工夫をしています。
審査員によって点数化する方法は様々ですが、例えば、
楽式分析、楽曲の解釈、演奏の正確さ、自身の創造性などに分け、
その点数を重さをつけて一つの点数にまとめる方法です。

つまり出来る限り精緻な点数化に努力している審査に対し、
実力以上の高得点を出そうとする受験対策は、
ほとんど不可能な状況になっています。

私自身も入試の審査に初めてかかわった時、
どのように採点したらよいか迷いそれを大先輩に問うと、
「君が教えてみたい才能を選べばよい」と伝えられました。

現在の演奏を評価する。
教育が加わる才能や技術、興味や心の成長を評価する。
自分や同僚が教育した時の変化を推測する。

演奏は知識や技術、そして心の総合芸術だと思います。
より充実した演奏をするためには、
あらゆる経験を積む必要があります。
それらを上手くまとめて必要性を伝えられる人こそ
必要とする先生ではないでしょうか。

音楽家とて人間です。
経済活動と切って話すのはむしろ人道的ではないかもしれません。
しかし、人間にとって大事なものとして音楽を教えてくれる先生と
受験指導をしてくれる先生のどちらがお望みなのでしょうか。
むしろ受験指導とはどのようなものか教えて欲しいと思っています。

ここで気を付けなければならないのは、
ソルフェージュや簡単な音楽理論、楽曲分析など音楽基礎科目は、
どのようなレベルでも必要だということです。
単に演奏技術でなく、総合的なバランスをとることを受験対策と
言うのであれば、それは受験指導かもしれません。

良い先生に巡り合うのは本当に大変です。
また初めの一歩から先生の系列が決まってしまう懸念もあります。
色んな人の紹介や、自分から何回かレッスンを受けてみるなど、
最初の先生は、時間と労力をかけて探すと、
それに見合った先生が見つかると思います。

また先生は一人に限る必要はありません。
孟母三遷の教えという諺があるように、
それぞれの時期に合う先生は確かにあります。
初心者がいきなり難しいことをいわれても、
血肉になっていかないレッスンは多々見られます。

どうぞ素敵な先生に巡り合いますように!


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