レッスンですることは?

中学生?までのレッスンと高校生や大学生のレッスンでは、
大きく異なるように思います。

日本では先生が1対1で「教える」スタイルが一般的ですが、
フランスではマスタークラスのように多くの生徒が集まり、
自分の演奏を発表する中に助言されるというレッスンを、
多くの先生で体験しました。

日本の「言われた通りに弾く」という方法は、
一見仕上がりが早いように思われますが、
「本番で異なる結果が出る。」ということも多いように思います。
近年では本番を多くすることにより、修正していく。という方法を
とられる先生も多くみられますが…。

「弾く」という意味では、それも良いと思います。
しかし、過日、とてもびっくりしたことがありました。
高校生卒業演奏会にて解説を自分たちに書かせたところ、
「人生を悲観する歌」を「楽しくて思わず踊ってしまう作品」と、
記述した生徒がいたことです。

既に数か月練習を重ね、本番3週間前になっての話でした。
この人はピアノで何をしているのだろう。と素朴な疑問が湧きました。
作曲者の気持ちや意図を勝手に変更し、タイプ打ちを続けていた。
楽器を鳴らす技術はあっても、演奏者のパフォーマンスでしかない。
思い余って創り出された作品は、全く意図とは異なる使われ方をした。
そんなものが目に見えた一瞬でした。

笑って人を殺す時代に相応しい、悲劇を喜劇で楽しむ時代になったのかと思うと、本当に厳しい時代が来たと感じました。
これを間違っている。と認識できないほどの衰退を感じたのは、
私だけなのかもしれません。

フランスで受けたレッスンでは、技術に対する指導は少なく、
発想や時代背景、そこに潜む意図の考察の時間が多くありました。
また時代を超えた作曲家同士の関連性や、思想の相違、
音楽的語法の展開を多く議論しました。

理想像がはっきりすれば、実現に至る困難は、必ず解決が可能です。
それが技術的な課題なら尚更です。
理想が具現化できないのなら、出来る技術を得る。
そのためにある練習時間だと気づきました。
出来るまでの様々な創意工夫、そしてトライ&エラー。
レッスンですることは、指示を仰ぐことではなく、
音楽を表現しその内容について検討することでは?

私は、いつも「楽しみにしています。」と付け加えます。
自分とは異なる若い感性が、どのようなアイディアを創造するのか。
私はその刺激から自分の演奏再発見へと昇華させていく機会を
常に狙っています。
まだまだ奥が深い音楽を、単純な評価で見たくない。
そんな楽しみが、レッスンにはあります。

あおること、ほめること、けなすこと。
音楽が求めているものは、その先に見えるものだと思います。
今やすべての芸術に、人間性やストーリー性が求められています。


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